鹿児島市中央卸売市場 青果食品協同組合

九万田青果

九万田青果

九万田青果九万田敏さん「今のサラリーマンを辞めて、一緒に青果業をやらないか?」

九万田青果店主の九万田敏さんが子息の修さんにそう話しかけたのが、ちょうど10年前のこと。

今年で38歳となった2代目修さんは、伊敷団地で生まれ、武岡の現地で青果業を営む両親のもとで育った。

昭和52年、伊敷団地から武岡の現分譲住宅兼店舗に移転後、近隣に大型スーパーが次々と開店し、青果の自営小売業がほとんど成り立たなくなってしまった平成11年、完全に小売り店舗を辞め、納め物専業に移行する直前、父親敏さんは子息修さんに相談。

元来、家業を継ぐ意思のなかった一人息子の修さんは、たまたま親戚の不幸などで実家の店を手伝うことになり、沖縄の勤め先から帰省した折、「父、母のどちらかが病などで倒れたら、家業そのものがダメになってしまうのでは!」と感じ、両親の老後のことなどを真剣に考えた末、5年続け、将来の期待もされたゴルフショップのサラリーマンを辞め、父・敏さんとともに中央卸売市場に通うようになったとのこと。

現在は、主に仕入業務を父敏さんが担当し、納め先への配達を2代目の修さんが担当。修さんは野菜の前取り仕入もこなし、早朝5時から6時まで青果市場で仕事をしたあと、すぐさま店に舞い戻り、20ヶ所くらいあるクライアント向けの配達の仕分け作業に入る毎日。親子夫婦4人とアルバイトで配達をされる方1人の、最大5名で日々の納め業務を回転中。

創業者であり店主の敏さんは、15年間くらいサラリーマンとして活躍した脱サラ組みで、自動車業界に勤めたあと、鹿児島のスーパー西ストアに5年間勤め、当時は中央市場での野菜の仕入れを担当。

九万田さん親子常々奥さんと「将来は何か商売をしたいねー」と話し合う中、野菜の小売りなら技術も要らず独立できるのではと、伊敷団地内で店舗を借り、3年近く夫婦で八百屋を営業。その後、武岡団地の分譲に抽選で当たり、現地に移転。

店主敏さんは、昭和51年、鹿児島市中央卸売市場が現・東開町に移転した後、10年ばかりしてから競り権を取得した。

日々の食材を扱う青果業は、景気の大波にもさほど影響されず、小額資金で開業でき、現金仕入れの現金払いで回転率もよいので、起業する決心がつき、当初夫婦で小売りのみを商ううちに、一つ二つと納め物の仕事は増え続けたが、大型スーパーの台頭や夫婦共働きの家庭が多くなり、小売りの商いのほうは徐々に細り始めていった。

「平成11年ころに、小売りを完全に辞め、納め物専門青果業として息子と一緒に働くようになって、売り上げはかえって伸びましたね!」

そう語る店主敏さん、曰く「二人になり遠方まで納め物を届けられるようになってクライアントも20近くに増える中、前日にご注文いただいた青果物は、翌日仕入、その日に納品!の方針は少しも変わらず、『お客様からいただく信用・信頼が第一!』が九万田青果のモットーです!」

現在、青果食品協同組合の筆頭理事を務める父・敏さんと、組合青年部新副部長となった子息・修さんは、異口同音で、「高齢化が進む組合員が、個人で出来ないことを組合が補完すべきだと思います。例えば、組合員が結束して『日持ちがよく、鮮度劣化の激しくない青果物の共同購入』などが仕組みとして実現できれば、組合がスケールメリットを生かして安く競り落とした青果物を必要なだけ、組合員が割安で分けることができ、消費者にも手頃な値段で提供できるはず!」とともに語る。

2代目九万田修さん夫婦鮮度が命の青果物だけに、対象青果物や量的な扱いに慎重な気配りや仕組みが要求されるのも当然のことで、日持ちのする根菜類などから手がけるのも一案。筆者自身も今後は共同購入のしっかりした仕組みづくりが必要かと感じた次第。

 お互いゴルフが趣味でたまには親子でゴルフを楽しむ九万田青果の店主敏さん、若き修さん。初代・2代目がともに納め物にチャレンジする青果商として、更なるご活躍を期待したいと思います。

 

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