鹿児島市中央卸売市場 青果食品協同組合

舞田商店「仕事が生き甲斐!生涯現役!毎朝、市場へ仕入に通い、店で商うことが健康と元気の素!」」

舞田商店

「日曜日の早朝、錦江湾に船を出し、沖小島(おこっがじま)あたりで豆アジを釣るのが私(あたい)の唯一の趣味!」

舞田商店そう語るのが、釣り歴35年を誇る舞田商店店主舞田重穂さん。所有する釣り船は海釣り公園近くのパンドラに係留中。豆アジといっても釣り応えのある大振りの豆アジで、餌はオキアミの一種。中央市場の仕入れの時間よりも1時間早い朝4時には出かけ、朝8時ころは帰り着く。

店主・重穂さんは異色の経歴の持ち主で、八百屋を始める前は、鹿児島市坂元町の自宅で商う紳士服の仕立屋さんだった。

40年くらい前、近隣に紳士服の量販店が進出し、魚屋を営んでいた兄上と相談し、15年間ほど営業を続けた仕立屋を閉店。その後、兄上の知人が経営する伊敷町のフードセンターで9ヶ月間見習いを経験。

その後、まだ独身だった舞田さんは、とうとう谷山で独立し、八百屋を開業。

なぜ兄上と同じ魚屋を選ばなかったのかと筆者が問えば、「魚屋などは職人としての技術が要るので、とにかく仕入れてきて並べて売るだけの八百屋なら自分でもやれると確信した!」と笑う。

舞田重穂さんその後結婚し、伊敷で5~6年間、夫婦で八百屋を商った後、今から34年くらい前、玉里団地の現地(75坪)が住居兼店舗用分譲サラ地として売り出され購入。

試行錯誤を重ね、兄上の友人である魚屋さん、店主重穂さんの妹さんが経営する肉屋さんなど5軒の商店(肉屋・魚屋・菓子店・乾物屋・自らの八百屋)が集まって営業する貸店舗スーパー施設を開設。

スーパー施設開業20年後に、空き店舗対策もあり施設を建て替え、自らの八百屋、花屋、魚屋でスーパーを継続するも、最後に魚屋店主が他界し、33年間続いた魚屋が3年前に閉店。

その後は、建物施設を居酒屋と動物病院に貸し、一旦3か月くらいの間、商売から遠ざかったものの、かえって奥さんの身体に変調が起き、1年前くらいから、施設の一端を占める奥行きの長い空間で、夫婦で青果業に復帰!

最近店主重穂さんが心不全を患い入院。奥さんが毎朝市場に出向き、組合仲間に競りや仕入れを手伝っていただきながら、難局を乗り切り、今では店主重穂さんも市場通いと趣味の釣り三昧にカンバックできた。

まだまだ本調子ではないとしながらも、重穂さんの元気なお姿と笑い声が毎朝市場で確認できるようになり、奥さんもほっと一息といったところ。

舞田商店ご夫婦「うちは、午前中が小売りのピークですが、最近はお客様がめっぽう少なくなりましたね! お年を召したお客様からの電話注文を受け、配達することも多くなりました。少しお店が暇になっても、お客様が買物にお見えになるまで耐えることが大事!」と語る奥さんも、店頭でお客様に買っていただいた大根の頭としっぽをさりげなくカットしながら、「うちのとケンカをしながら夫婦して、のんびり楽しく八百屋を続けているうちに、めっぽう気も強くなりましたね!」と笑顔を絶やさない。

僅かな納め先の一つである近隣の小学校でも、ピーク時は2400人もいた小学生が、現在では400人に減り納め物の量も激減、馴染みのお客様もほとんど高齢化し、少子高齢化を絵に描いたような玉里団地界隈で、「地元の年配の馴染みのお客様が好む、ニガゴイ(ニガウリ)、ツワ(ツワブキ)など、郷土の食材、珍しくなった昔からある食材を出来るだけ仕入れて、店頭に並べ、昔からのお客さまに喜んでもらいたかですね!」と店主重穂さんはしみじみ語る。

「働いているほうが、身体が元気! 町の人々や、市場の仲間との会話や情報交換が楽しみ! だから生涯現役、仕事が生き甲斐です!」と夫唱婦随で元気発信する舞田商店さんでした!

 

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